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ゲーム作品におけるウェイトについて

 

コラム

このコラムでは、ゲーム製作をする上で誰もが無意識に考えている問題について書いていこうと思います。
それはずばり、「ウェイト」についてです。
「ウェイト」の語義は「待つ(Wait)」で、プログラミングやゲーム製作界隈では、「意図的に処理を遅くする処理」という意味で使われます。

ゲーム作品を作る上で、安易にウェイトをかける処理ばかりしていると、「ウェイトが多くて、プレイしていてストレスだった」等というコメントが多数寄せられるアレです。

どんなジャンルのどんなゲームを作っていても、ウェイトをかける処理はあります。どの作者も恐らく感覚的に、場面場面で10ウェイトにするのか30ウェイトにするのか、あるいは100ウェイトにするのかを瞬時に考えながら作っているはずです。無意識のうちに感覚的にウェイトをかけていると思いますが、ゲームを作るうえで、ウェイトは非常に重要な要素なのです。

ウェイトが多いとプレイする方はストレスになりますが、そうかと言って、ウェイトが少なければ少ないほど良いのかというと、そういうわけではありません。ウェイトを全然入れていないと、「キーを少し触っただけで連打扱いになってしまってストレスだった」という感想が送られて来ます。また、ゲームの挙動がプレイヤーの思考速度より早くなってしまってはいけません。次々に場面転換していくと見る側の脳の処理が追い付かなくて、頭に入ってこなくなることがあります。
そして、私が「ウェイトが重要だ」と思う最大の理由は、物語のある作品ではウェイトが劇中の「間(ま)」になるからです。

ゲーム製作は映画を監督することに近いと、私は考えています。物語部分を作る時に、キャラチップや立ち絵、顔グラフィックに演技をさせる必要があるからです。登場人物の会話や所作、心情を、自由度の低いドット絵素材で表現することに苦心している製作者が、多くいると思います。特にフリーゲームでは、キャラクターにリアルな動きや細やかな動きをさせることは難しく、映画や演劇ならば視線や息遣いなどで表現していた感情の機微や人間性を、限られた素材の中で表現していかなければいけません。

そこで重要になってくるのがウェイト、演技の世界で言う「間」です。
キャラチップの登場人物が、振り返って喋り出すまでのウェイト。暗転が明けてから会話が始まるまでのウェイト。衝撃的なことを告げられた時に、主人公が返答するまでのウェイト。……など、あらゆるシーンにおいて、ウェイトをかけることで、物語をよりドラマティックに演出していきます。これは小説や漫画にはない要素で、そういう意味でゲームは映像作品であり映画や演劇に近い物なのかもしれません。

作品を作る時には、物語が自然に流れていくように、プレイヤーの心に残るように、このウェイトを調整していきます。無意識に、感覚的に行うことがほとんどだと思いますが、とても重要な作業です。ウェイトが多いと冗長になり、プレイヤーにストレスがかかります。ウェイトが少ないと引っかかりがなくなり、プレイヤーに話が入っていかなかったり、場面の雰囲気が壊れたり、印象づけたいセリフが印象に残らないものになったりします。それを上手く調整する必要があるのですが、作者とプレイヤーはもちろん別の人間なので、感覚の違いが生じてウェイトが多過ぎたり少な過ぎたりということがあります。

これから書くことは、私が自分や他の作品を見てきた上での経験です。

このウェイトは、作者の作品に対する思い入れが強ければ強いほど、多くなってしまうように私は思います。
作者が物語内世界に没入して、登場人物になりきってセリフを言う時、グッと気持ちをためてセリフを言うので、入れるウェイトは多くなります。シリアスなシーン、感情を載せたセリフを言うシーンなら尚更でしょう。

映像作品の手法の1つに「スローモーション」があります。あれは、映像をゆっくり流すことで、「ここに注目してほしい」という強調表現であると同時に、凝縮された感覚的時間の描写をしています。人間は過度に集中すると本当に、見える世界、感じる時間が遅くなります。意識が加速状態に入るためです。それを疑似的に体験させる映像的な仕掛けがスローモーションであるとも考えられます。主人公の動きがスローモーションになっている時、「この主人公は過度に集中していて、加速した感覚の中にいる」という表現にもなっているのです。
これと似たようなことがウェイトでも言えます。ウェイトを多く入れて、シーンの流れを遅くすることで、作者は無意識的に「登場人物が集中している状態」を演出していると考えられます。
しかし、作者は物語に没入し、登場人物に乗り移った状態で作品を作っているので、その没入度合いが高ければ高いほど、必要以上にウェイトを多く入れてしまうのです。結果、作者は「良いシーンが出来た」「皆ここで登場人物に感情移入してくれるだろう」と思っても、プレイヤーは「何でこの人の喋るシーンはこんなにウェイトが入っているんだろう」「展開が無駄に遅くてストレスだ」と思ってしまうようなことが生じます。

つまり、作者の思い入れが強いほど、必要以上に作中のウェイトは多くなってしまうのです。

何が言いたいのかというと……、作者が没入して作品を作っている時に「ウェイトを入れたい」と思った時は、一度冷静になって「自分は今、作品に対しての思い入れが強いんだ」と心に念じてから、自覚的にウェイトを設定することをお勧めします。創作をする上で、登場人物になりきることも大事ですが、プレイヤーになりきることも同じくらい大事なことなのです。
「物語を創作するということは自己表現ではあるけれど、同時に、自分を消し去る行為」です。作品は作者の分身ですが、その中から作者自身を消し去らなければいけません。作者は作品内に没入すると同時に、一歩引いて、冷静な目で作品を見つめ、コントロールしていくこと。それが創作者に求められることだと、私は思うのです。

 

(c)

 

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