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「自作を愛し、自作を褒めよ」は難しい。

 

コラム

ゲーム制作をしていると「創作者たる者、自分の作品を愛すべし!」…なんて風潮を感じることがしばしば。そして自分の中で、妙な緊張が走る瞬間があります。

――「自作を自信たっぷりに褒められない私って、ダメな制作者なのかな?」と。

もちろん私も、自分が作ったゲームは好きです。
とはいえ私の自作に対する愛情は、ほかの制作者さんと肩を並べられないとも思っています。(そもそも、比べること自体がナンセンスなのかもしれませんが)

理由はおそらく、『完璧なゴール』を目指して作っていないから。

多くのゲーム制作者さんは、100点満点以上を目指して作っているように感じます。妥協せず、とことん悩んで、葛藤して、なかには分業してゲームを完成させる人もいるそう。だからこそ自作のウリを熟知し、苦労に裏付けされた愛と自信に満ちているのだと思います。

一方、私にとってゲーム制作とは高みを目指す目標ではなく、日々のガス抜きに近いものです。
できないところは諦めて妥協しますし、加点方式というより減点方式で作っています。

制作のモットーは、無理せず、楽しく。公開できる水準に達しているかは自分なりにチェックしますが、一番表現したいところさえ形にできたら、もう満足なのです。

個人的には、自作に自信をもてないことは悪ではないと思います。いや、思いたいです。
当然多くの人に遊んでもらいたいなら、強い言葉で自虐すると離れてしまうでしょう。でも私は「…そこまで言われると、逆に気になる!」となるタイプ。

さらに「自作を愛して!」「貶さないで!」という意見よりも「絵もシナリオも未熟ですが…」と言ってしまう気持ちのほうが共感します。(私の場合、文章はパンチの効いたことを書けないし、絵はアタリの描き方すら満足にできないので)

私は自作を貶すまではいかずとも「自信をもってお届けします!」とは、どうしても言えません。謙遜はできない、虚勢も張れないとなると気の利いた言葉が紡げず、最近はSNSで自作を宣伝することを控えていました。

「私のスタンスは失礼なのだろうか」とたまに悩みますが、決してネガティブな気持ちだけではありません。

わかりやすい熱がないせいか、私の耳は都合の良い耳になりました。

「自分の好きが誰かの好きだったら嬉しい」という話は、至るところで何度か伝えている通り。せっかくなら気の合う人と仲良くなりたいですし、制作をする理由にしたいですから。事実、日々私の耳に届くのは嬉しい言葉ばかりです。いつもありがとうございます。

逆に自作が好みでなかった人に対しては、「仕方がないな」くらいに考えています。それ以上でもそれ以下でもありません。だから私のスルースキルは高いのではないか?と自負することも。もしくは批評する土俵に立っていないのか…それくらい耳に届かないのです。

つまり、お褒めの言葉には「拙作にありがとう!」と言える。
お叱りには「そりゃ妥協してるし」とある種の保身ができる。
…そんな風に落としどころができているから、私はゲーム制作を続けていられるのかもしれません。

でも。やはり。本音を言うと。

100点満点以上を目指す制作者さんは眩しく、とてもカッコいいです。そりゃ自作を深く愛せるし、素敵な作品ができるし、誰にも作ったものを貶してほしくないって思うよなぁと納得しています。憧れます。

悲しいかな、憧れと現実は違うもの。私は私らしく、フリゲ界の片隅でほどよく頑張ります。
自作に対する愛情の大きさ・熱量は違えど、フリーゲームや制作が好きというカテゴリは同じなので。

――以上、マジョリティに飲み込まれそうなときの自分を奮い立たせるべく、マイノリティな文章を書き留めておきます。

 

(まつぼ Twitter

 

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