コラム
土鍋にイチゴは合わねえ。長女と末男のアベックくらい合わねえ。あいつら、互いに甘えたがるからすぐ別れちまうんだ。
だから恋人は相互補完できるほど続くし、補完どころか個性を打ち消し合う土鍋とイチゴは絶対に合わねえ。
そんなの当たり前だって? ああ、当たり前だと思うよ。思っているから実践しないし、鍋にはラーメン一択だ。神に誓おう、アーメン。
滑ったみたいだ。こりゃサーセン。
だが、その危険な地雷草原を歩いちまうのもいるんだぜ。
甘くてキャピキャピ系のイチゴを、漢飯の土鍋にほいほい入れちまうの。
狙ってんなら悪いことじゃねえさ。料理界のアリウス派はこうやって生まれる。
単純に美味い鍋を作ろうとしてイチゴを入れちまうことが危険なんだ。
そこのあんた。口を開けながら画面をスクロールしているあんただ。
せっかく作ったから搭載した自作システムが不評だった、という経験はあるか?
自分では丁度いい難易度だと思ったバトルが、誰かにとっては進行不可なレベルだった経験は?
完璧だと思って作ったシナリオに、的確なツッコミを入れられた経験は?
俺はある。何度も経験している。
なあ、ちょっと昔話に付き合ってくれないか?
俺は個人でレストランを経営していたんだ。最初のうちは誰も来なかったんだけど、メニューが増えるとお客様が増えて。俺も嬉しくて、どんどんメニューを開発したわけよ。
おすすめはノベルゲーム。隠し味にアクションゲーム要素を入れてさ、それを味わわないと完食できないようにしたんだ。
俺は自分の料理が大好きで、最高に自信がある料理を「お待たせしました」ってお客様ににっこり笑顔で提供するのよ。
俺は厨房に戻りながら、「兄ちゃん、美味しかったよ!」って言われるのを楽しみにしてさ。
でも、お客様は終始曇った顔で出ていっちまう。
なんでだろうな、俺が味見したらとても美味しかったってのに。
簡単な話さ。自分が作った料理の味なんか、最高に決まっている。だって自分が作ったんだから。
だから土鍋にイチゴを入れて、これは最高の味だって過信しながらお客様に提供したんだ。肝心のお客様の声すら聞かずにな。
盲信ほど強い酒はないぜ。おかげで自分に酔っちまったよ。
でも料理はやめられない。傲慢かな、俺は「ごちそうさま」が聞きたくてたまらないんだ。
だから俺は、酔いを覚ますおつまみを買うことにした。
それは他者の料理。とにかく食って食って食いまくるんだ。
企業でも個人でも構わない。自分との相違を見つけて、自分の料理の改善点を探す。見つかった頃には酔いなんて覚めている。二日酔いともおさらばだ。
これは裏技だが、他者の料理に「ごちそうさま」と言えたらもっと清々しい朝になる。
ああ、友人に試食を頼むのも手だ。交友関係が広いともっと良い。こだわりがなければ、素直にアドバイスに耳を傾けるといいぜ。
理解を深めていくと、次第に土鍋とイチゴが合わないことは自明になる。
たまに土鍋とイチゴを合わせる料理を提供する猛者が現れるが、絶対に隠し味がある。フルーチェの素が混じっているとか。
もちろん斬新で素晴らしいアイデアだが、それは土鍋でラーメンを作れるようになってからのステップアップだ。ありきたりという土台の上に型破りがあるんだぜ。
それでも自分の最高を求めるなら、この話を忘れてパスタにバターを入れるといい。
自分と価値観が合うお客様を探すのも、また一興だ。
(メジロダックスフンド)