コラム
――フリーゲーム界のどこかで、今日も起きているでしょうか。
「フリゲ制作者同士、仲良しだからプレイしたよ!」
「熱い感想やファンアートを書いた!SNSでも話すよ!」
…最高ですよね。むしろ何がダメなのでしょうか。今回はそんな持論を語らせていただきます。
現在ゲームを作り始めて、2年と少し。片手で数えられるくらいにゲームを作りました。
まださほど長くないゲ制人生ながら、ありがたいことに制作者さんとの交流も少しずつ増えております。いつも仲良くしてくださってありがとうございます。
そしてコンテスト開催の前後になると、「制作者同士の交流による忖度が出てしまうのでは?」というシビアな見解を目にすることが。
結論、忖度ではないと私は思っています。
なぜなら、フリゲ制作者同士の交流って、元をたどればやっぱり「作品ありき」なのですよ。「仲がいいから」だけでは計り切れない、作品へのリスペクトがあるんです。
少なくとも私は、「作品が好きだから」仲良くなりたいと思っていますね。
「シナリオに感動してしまった…」
「とても美しいイラストだなぁ…」
「システムへのこだわりもすごい!」
自分では到底生み出せない、素晴らしい作品に触れて「一体どんな人が作ってるんだろう?」と行きつくのは、ごく自然なことではないでしょうか。
だって学校みたいに席が近い的なきっかけはないし、フワッと仲良くなるのは難しいですもん。フリゲ界で交流するには、やっぱり「作品」が大きな理由になると思います。
商用ゲームのように仕事であれば、ニーズを把握して作らないといけない側面は大きいでしょう。一方フリーゲームは、制作者の「好き」をダイレクトに反映された作品が多い。純粋培養された趣味趣向に触れることができるため、他者も素直に受け取りやすい背景があります。
また、仕事でないとはいえクリエイターたるもの、社交辞令だけで応援することはないはずです。心の通っていない称賛は嬉しくないこと、そして相手にどれだけ失礼なことか、よくわかっているから。
仲がいいから、相手の作品を遊ぶ。
それは、「仲良くなりたい」と思ってもらえる作品作りができている証拠だと私は思います。言うなれば、「友達」と「ファン」のよいとこどり。名前を付けるとしたら、そんな関係性ですかね。
だから、ご自身が誰かの作品を栄えある賞に選ぶ立場になったとき。
本当に作品を素晴らしいと感じ、作ったのが仲のよい制作者さんだったら、気兼ねなく…いいえ、胸を張って選んでよいのです。
今回お話したことは、あくまで私の気持ちに過ぎません。集計をとったわけでもなければ、主語を大きくしたいわけでもないです。
でも万が一、同じ問題でちょっとでも気が引けている方がいるなら、「私は制作者同士が仲良しなこと、リスペクトがあって最高だと思うよ!」と伝えてみたくなりました。本記事が誰かの気持ちを軽くする一助になれば幸いです。
(まつぼ Twitter)