「ゲームを完成させるにはどうすればいいですか?」
多くのフリーゲーム制作者の皆さんを悩ませる「ゲームを完成させるための手段」。27年、フリーゲーム制作を続けてきた自分が辿り着いた、現時点での最適解は…、
「自分の思うように、やりたいように作ればいい。つまり『適当』でいい」
いや、マジメに考えてますか?という突っ込みが来そうですが、自分の結論はこれです。それでは答えになっていないぞ!という突っ込みが来そうですが、これが答えです。少なくとも自分は。その根拠として、この考えで作っている自分の作品は全て完成まで辿り着いています。その完成品こそが証拠品。そんな考えで完成するんですか?と聞かれれば「でも完成してるでしょ?」です。そういった突っ込みにはむしろ「皆さんがマジメ過ぎ」「ガチガチに作り過ぎ」と返したくもなります。
その辺りも含めて、今回はその最適解に如何にして辿り着いたのか、これまでの自分の制作履歴を振り返りながら一緒に見ていきたいと思います。後半では自分なりの、上手い具合の『適当』さ加減のやり方に関しても記述しています。参考にしても、しなくてもいい。とりあえず考える材料にしていただければ…、そしてフリーゲームを完成させたいと願う皆さんの手助けに少しでもなれば…と思っています。
1-1.ゲーム制作を始めた頃の話(1995~1998年)
『出来ない事が多い事が、逆に作り易さを産んだ』
自分がゲーム制作を始めたのは今から27年前、高校生の時に「RPGツクールSUPER DANTE」で作り始めたのが最初です。厳密に言うとその前から、机上で自分のオリジナルゲームの構想は練ってはいました。主人公を妄想したり、こんな敵キャラクターを出そうとか、ここには町があってこんな仲間がいて、ストーリーはこんな感じ…というような妄想を一人でしていました。でもその当時はゲーム制作と言えば複雑なプログラム言語(家にあった本では「マシン語」と呼ばれている類の物)を理解できる人のみが許される、自分から見ればいわゆる「神の領域」でした。プログラム知識が無くてもゲーム制作を可能にする魔法のようなソフト「ツクール」を知るまでは。
作ったのは、装備を整えレベルを上げて、勇者を鍛えて魔王を倒すという、ごくごく一般的なRPGだったと記憶しています。ここで完成できた勝因(?)としての一番の理由は「案外できることが少なかった」それに伴って「机上の理想と合わなくても納得せざるを得なかった」ことにあるかもしれません。SUPER DANTEは初期のツクール、スーパーファミコンでの発売という事もあってか色々と制約が多く、容量の関係で出来ないことも多かった。でもそれは逆に言えば、「出来ないことはやらなくても良かった」「考えても仕方ないので、考えなくてもいい」事も多かったとも言えます。限られた設定しか出来ないとは言っても、ゲーム制作初心者である自分にとっては十分すぎる設定項目数でしたし、その設定項目数でも工夫次第で、最終的にはまあまあ面白い作品は作れた。色々な部分が『適当』でもいい。最初からこんな感じでした。
『適当に作るのは、作っていて楽しい』
最初に考えていた妄想、いわゆる「ぼくの考えた最強のゲーム」アイデアはどうなったのか?…ツクールに合わせてガリガリ変更していきました。自分のこだわりを捨てたくない気持ちも0ではありませんでしたが、こだわるも何もどうしようもないので「ツクールに自作品の設定を合わせる」、頭の中ではガチガチに固めていたと思っていた設定も、いざツクールに降ろせばコロコロ変える。その程度の『適当』なものでしたが結果としてそれが完成の近道でした。これがもし最初に触れたツクールが「やり方次第でかなり無茶な設定も理論上可能」なもの、それこそ今ある最新ツクールだったとしたら、この発想も少し違ったかもしれません。
この考えをより強固なものにしたのが、RPGツクールの攻略本で記事を書いて下さっていた、スタパ斎藤さん、桃栗たき子さんの言葉でした。スタパ斎藤さんはSUPER DANTEの攻略本の中で「手を抜く方向で考えると案外いいアイデアが出る」と書かれていました。そして続編の「RPGツクール2」の攻略本ではサンプルゲーム作者でもある桃栗たき子さんは「考えることが大嫌いだからゲーム作りの流れなんて深く考えたりしたくない」「アイテムや敵キャラの設定をすっ飛ばして真っ先にイベントを作っちゃう」と書かれています。理由は「イベントを作っている時が一番楽しいから」「面白そうなイベントをいくつか作っておいて、それをテキトーに繋げてストーリーを膨らませりゃいいや」とのこと。攻略本に記事を書く程の方でも、サンプルゲームを作る程の方でも「手を抜く方向で考える」「ゲーム制作の順番がすごく『適当』」という内容です。そんな記事を見て「ああ、これでいいんだ」と妙に納得したのを覚えています。その後の記事内容を見ると、でもその作り方だと、そこで持たせるためのアイテムを作ってなかったり、イベントで戦うはずの敵キャラを設定してなかったり、それに気づくたびに慌ててデータ設定に戻って作って後悔する…、ということも書かれてはいたのですが、自分はその作り方で後悔したことはあまりありません。むしろ「作っていて楽しい」の方が遥かに勝ります。そう「適当に作るのは、作っていて楽しい」のです。「2」はSUPER DANTEと比べると出来ることも増え、より細かい設定も可能にはなったのですが「出来るようになった」であって「出来なければならない」ではない。それが妙な安心感を生みました。
一方で3作目「RPGツクール3」で作った作品では一転、事細かにデータベースを作り、キャラの設定なども紙にまとめて作るという、これまでとは一変して「キッチリデータベースを固めてから作る」という作り方をしていました。理由としては大きく2つ。1つはコンテストに参加するにあたって、当時はゲーム本体ではなく、ゲームプレイ画面を録画したビデオを投稿するというルールでしたが、それだけではアピールが足りないと思い、前述のデータベースや設定資料も送ろう(ビデオ以外の設定資料を同封することがルールとして認められていたので)と決めていたから、というのがあります。結局それが結果には結びつきませんでしたが。もう1つは至ってシンプルに「そういうデータベースを作り込みたい気分だったから」。ゲームの完成に必要なものだから、誰かに作れとアドバイスを受けたから作った、という考えは決してなく「作りたいから作っただけ」という、『適当』な動機でした。完成したデータベース自体はそれなりにまとまりのあるものでしたが、それを作った動機はなんともいい加減。でもそれでもいいと思っています。ちなみにこの「何故だか突然、自分の作品のデータをきちんとまとめたくなる症候群」、今でもたまに発症します。その時は「気が向いている間だけ作り、気が向かなくなったら区切りが付いたところで止める」いたってシンプル『適当』です。
1-2.PCツクールへの移行、格闘ツクール使用時代(1999年~2011年)
『~ねばならない、という感覚の中で作るのはしんどい』
大学生になりPCのツクールに移行。最初に着手したのは「2D格闘ツクール95」における格闘ゲームでした。格闘ツクラーを名乗る自分の代名詞とも言える格闘ツクールでの制作ですが、今思えばこの時期が一番「作っていて、しんどさを感じた時」だったような気がします。…というのも、自分は絵を描くのが苦手なのに、必要なグラフィックをほぼ全て自作しなければならなかったことが一番大きかったです。それでいて何故か「どんなに下手でも『自作』であることに魅力を感じていた」時期でもありました。実は前述の「RPGツクール3」の時代でも付属ツール「アニメティカ」で自作ドットを作っていたことはあるのですが、それとは比べ物にならないほどの作業量、しかも自分の苦手分野ということで本当に大変でした。ほぼ全て素材が揃っているコンシューマー版ツクールから、ほぼ全て素材を自分で用意しなければならないPC版ツクール、それも当時、ツクール最難関と言われた格闘ツクールへのシフトという事で、その制作難易度も段違い。これまで散々培ってきた『適当』に作るでは通用しない「出来ない事でも、無理やりやらなければならない」そういった観念に縛られていた…そんな気もします。そういうこともあってか、グラフィックの準備が完了し、ツクールに組み込む段になったら、それはもう楽しかったのを覚えています。格闘ツクールはグラフィックだけでなく、ツクールそのものの難解さでもトップクラスなのですが、そこはツクールを動かせる楽しみでカバーできていた気がします。
結果として完成に辿り着くことはできましたが。1作作るのにかかった時間は恐らく格ツク作品が最長。後にシリーズ化されたパーティーシリーズの先駆けである「カレンダーパーティー」シリーズは2作目ではコンテストでの初受賞も経験し、評価も頂きましたが、この時期を経て少しずつ「出来ない事を無理やりやることは正直どうなのか?」と考えるようにもなりました。「~ねばならない」を感じながら作るのはしんどく、何より楽しくないからです。そういうこともあって当時の「自分にとって絵の練習は時間の無駄」という自分の見解が物議になったこともあると記憶しているのですが、今でもそれは間違っていないと思いますし、考えを変えるつもりもありません。「出来ない事」ひいては「やりたくない事」は無理にやらなくてもいいと思っています。そしてこの「出来ない事、やりたくない事は極力やらない方向で考える」思考は、今も続いています。
『やりたくないことはやらない一方で、やりたいことはガンガンやる』
そしてこの時期に、自身主宰の初のコラボ作品「格ツクコンチェルト プロジェクト2D」(通称:P2D)を作成。自分がメインで作成した格ツク作品の中ではこれが一番楽しく作れた記憶があります。憧れだったコラボ作品であることに加え、何しろ一番苦手なグラフィックに関しては新規に用意する必要が全く無かったので。ゲームバランス調整はそれなりに大変でしたが、それは自分にとってほとんど苦になりませんでした。「出来ない事を無理やりやることはない」一方で「やりたいことはガンガンやる」これが完成への近道でもあるし、楽しく作るコツでもあると考えました。憧れの作者さんのあのキャラ、このキャラが、そういったキャラ同士、そして自分のキャラと戦う。同一ゲームで動く。そしてそれを作れる立場にいる。それだけで、有難い事にモチベーションが青天井と思うレベルで上がってくる。自分が近年、コラボ作品を作り続けているのはこうしたコラボの魅力に取りつかれているからなのかもしれません。
1-3.PC版RPGツクール制作期~現在
『適当に作っても、なぜか終わる(=完成する)』
RPGツクールVX Aceの発売をキッカケに、PC版でもRPGを作り始めることにしました。RPGツクール3以来のRPG制作という事でちゃんと作れるのか不安もありましたが、実際やってみると案外とスイスイ作れました。結果として後続ツクールのRPGツクールMV、RPGツクールMZも引き続き使い続けています。そしてその制作スタイルは「自分の好きなものから好きなだけ作っていく」という、高校~大学時代の作り方に原点回帰。…と言えば聞こえはいいですが詰まるところ『適当』でした。後からデータベースを見返してみると思わず「なんだこりゃ」と思いたくなるゴチャゴチャぶりですが、それでも作っている時が楽しくて、ちゃんと完成まで持って行けたんだから良し、という感じです。
実はその合間に1作、アクションゲームツクールMV作品も作りましたが、一番苦手なグラフィック制作に関しては新規グラフィックは主人公くらいで、それ以外はほぼこれまでの使い回しか、RPGツクールからの素材流用で済ませました。「出来ない事を無理やりやるのはしんどい」という過去の経験からです。それと同時に「適当に作っても、なぜか完成できる」という自信もありました。結果として自分の作りたい作品を作ることができて満足でしたし、『適当』に作っても完成はできるという自分の理論も間違っていなかった、より強固になったことが再確認できました。
この時期の自分のゲーム制作での座右の銘は「ゲーム制作は舐めれば結構甘い」…今思えばこの頃から随分『適当』な事言ってたなあ…と。でもそれで完成できているんだから、それでいいんです。
最近になって毎年1作くらいのペースで、たくさんの方を集めたコラボ企画を進めさせていただくようになり、その際には「ちゃんと制作状況の報告をした方が参加者さんが安心できるよね」と思うようになりました。そこで自分自身にノルマを課すことにしました。その内容は「1週間に1回。制作状況をアップロードする」というもの。こう言うと聞こえはいいですが決まっているのは、それだけ。どのくらい制作するかとか、時間帯はいつとか、更新部分はどこなのかとか、そういう細かい部分は決めたり決めなかったり。詰まるところ『適当』です。自分自身にノルマを課すのは大変じゃないですか?とか、しんどかったら休んだらどうですか?とか聞かれることもあるのですが、自分が勝手に好きで課している事なので大変でも無ければ休む必要も無いんです。全ては自分次第、その気になればいつでも変えられる。その『適当』さがあるおかげで制作モチベーションとペースが保たれているようにも感じます。結果としてどの作品も大体22~26週、およそ半年近く週1更新を続けていましたが、どうして続けられたのかは正直自分でもよく分かりません。何だかよく分からないんだけど、なぜか続けられる。それも『適当』の力かもしれません。
…とこんな感じで、現在まで至る自分のゲーム制作歴を振り返ってきました。ここからはこれまでの経緯を踏まえながら、どうやって『適当』に作っていったか。組み立てていったか。それを考えていきたいと思います。『適当を組み立てる』というのも変な話ですが、普通に作っていたのでは『適当』に作るのが難しいと言うのなら、敢えて意識して『適当』に作る『意識した適当』に頼ってもいいと思うのです。
2-1.適当加減すら『適当』、でもそれでいい。
『キッチリ作りたくなったら、キッチリ作る部分があってもいい』
ここまで読んでどんだけ『適当』なんだと思ったかもしれません。ここまで散々『適当』という言葉を使ってきました。考えてみれば自分のゲーム制作というのは常に『適当』でしたし、それで作品を完成させてきた実績もあります。でも…いやいやそんなことはない、と思った方もいるでしょう。ここまでのコラムをよく読んでいただければお分かりの通り、夢幻台だって
RPGツクール3時代はデータベースをキッチリ作っていたし、
格ツク時代は苦手に向き合ってドット絵にもキッチリ挑戦していたし、
今も1週間に1回の進捗状況アップロードと、キッチリ進捗管理してる
キッチリ作っている所があるじゃないか、どこが『適当』なんだ?…と指摘したくなるのも分かります。それもまたその通り、キッチリ読んで頂けてありがとうございます。しかしながら個人的に言えばその「キッチリ頑張るか、適当に済ませて頑張らないか。それすら『適当』」つまり「適当さ加減も『適当』」です。その証拠にキッチリ作っていた要素が「データベース」「グラフィック」「制作スタイル」と見事なまでにバラバラです。
データベースに凝っていた時は制作スケジュールはハチャメチャでしたし、グラフィックに向き合っている時にはゲームバランスまわりはちょっとお休みしていましたし、制作スタイルを確立した頃にはグラフィックの事はほぼ考えていませんでした(最近のRPGツクールにはキャラクター生成機能という便利な機能も搭載されていたので、考える必要も無くなった)。頑張りたい時に、頑張りたい事を、頑張りたいだけ頑張る。その他の要素についてはちょっと力を抜いて作る。無計画、身勝手、いい加減極まりないですが、それでいいんです。
だってそれが「『フリー』ゲーム」だから。
もちろん異論もあると思います。いい作品を創ろうと思ったらもっとマジメに作らないと…と思うかもしれません。でも、マジメに作った作品がいい作品になるとは限りません。正直、それでいい作品になるなら苦労は無いです。さらに「~ねばならない」の感情で作るとしんどいという話は先ほどもしましたが、どうしても窮屈になる。それは「フリー」という言葉に矛盾するかな…と思っています。仕事をそんな気持ちでやったなら迷惑極まりない態度かもしれませんが、自分にとってゲーム制作は「遊び」です。遊びなんだから、せっかくの遊びなんですから、もっと自由に『適当』に作っていい。「フリーゲームだからで許されるんなら何でもアリですね」と聞かれれば、それは「YES!」です。それが許されるのがフリーゲーム。市販ゲームには無い、市販ゲームではできない魅力と思っています。
2-2.実は能力が低い作者の方が『適当』に作れる力は強い
『フリーゲーム作者さんは、マジメ過ぎる方が多い!?』
ゲーム制作が頓挫する、通称「エターなる」作者さんをこの27年間の中で沢山見て来ました。そういった方々を今にして感じると、ちょっと皆さんマジメ過ぎる。そして能力が『実は高い』。「えっ!?」と思われるかもしれませんが事実です。むしろ自分(夢幻台)より能力が低い人を探す方が難しいです。でもその能力の高さは「完成」できるかどうかを考えた場合、必ずしもプラスに働くとは限らないと考えています。能力が高い故に、低ければ見過ごしていたゲームの粗が見えてしまう。そしてマジメ故にそれを見つけてしまったらそのままにしておくことができない。そうしているうちに粗がさらにドンドン出てきて(または見えてきて)しまって身動きが取れなくなる…これが結構エターなるパターンとしてある気がします。能力が低ければ、粗に気づくことが減ります。粗が無いのではなく、気が付かない、気が付けないのです。
そして「粗に気が付かなくても、滅多なことは起こらない」のも事実。本当に?と思われそうですが、特に今の時代、やろうと思えばすぐに修正も可能な(事が多い)ので、プレイヤーさんに見つけてもらったバグに真摯に対応していけば、公開当初に見過ごしてしまった粗は意外と何とかなる時代になりました。また全部が全部そうではありませんが、いい意味での「粗さ」さらに言えば『適当』に作った部分が意外といい味を出しているケースも少なくありません。もちろん、ちょっとテストプレイすれば分かるバグを放置して出すのはどうかと思いますが。
『マジメに制作に向き合う事が、必ずしも完成に近づくとは限らない』
他の方が行ってくださったアンケートで「楽しんで作っている所だけ見たいか、苦しんでる所も見たいか」というものがありました。自分は「そんなもの『楽しんで作っている所だけ見たい』に決まってるでしょ」と思っていたのですが、結果は逆。しかも15:85という超大差。苦しんでいる所も見たいなんて、それを見て勉強したいのか、それとも他に理由があるのか、詳しい事は分かりませんでしたが、皆さんどれだけマジメなんだ!?どれだけ向上心があるんだ!?と思いました。気分よく、明るく楽しく作っている所だけ見せてもらって気分よく制作に没頭する、それでいい。苦しい所はお呼びでない、そんな自分の考えが圧倒的に少数派だったことに驚愕するとともに、皆さん案外『適当』って苦手なんだな、と思ったのも事実です。マジメに向き合うのが悪いとは言いませんが、敢えて不真面目になってみるのも、気分が変わって良いと思います。行き詰った時には案外その力の抜け具合が突破口になる事だってあります。
そして厄介な落とし穴と思うのが「フリーゲームにおいて作者の能力が上がることは良い事ばかりとは限らない」こと。向上心を持ってマジメに取り組んでも『完成力』を考えた場合、必ずしもプラスに働くとは限らないのです。さらに言えば『ゲームの楽しさ』にすら直結しないこともあるくらいです。とあるフリーゲームのシリーズもので感じたことなのですが、1作目(さらに言えばその後数作)は確かに粗が多く、その点を指摘する評価もあったのも事実ですが、自分としてはその粗さに、フリーゲームならではの手作り感が垣間見えて好きだった…ということがあります。それがシリーズが進むにつれてその作者さんの制作能力が上がった(正確には能力が上がったというより、制作に小慣れてきただけなのかもしれませんが)ことで、初めの方にあった粗がドンドン無くなって行きました。一見いい事ではあるし、ゲームとしての体裁はむしろ整ったような気もしました。ですが粗が無くなった=面白くなった、ではありません。面白さはそのままで、粗が無くなったことにより、そこに感じていたフリーゲームならではの魅力は半減してしまった。ご本人に伝える度胸はありませんでしたが、そういう気持ちになりました。そして同時にふと、自分の作品がそうなってしまっていないか振り返りました。下手に中途半端に能力を付けるくらいなら、無能な方が味が出る、そういう側面もあると思っています。
2-3.無能は悪い事ではない
『適当を甘く見てはいけない』
プレイヤーさんにしてみれば迷惑極まりないかもしれませんが、自分は自分自身の、いい意味での「能力の低さ」「無能さ」は失わないでいたいと思っています。粗があるからこそ感じられる魅力もある。前述のアンケートの例を見ても、世間一般の、能力が『すごくある』または『そこそこある』方々はこの『適当』具合が苦手。なので適当であることに耐えられない。言い換えれば「妥協ができない」という観点にも通じるかもしれません。頑張って『適当』に慣れましょうというのもおかしな話ですが、ゲーム制作・完成を意識するときに『適当』の力を甘く見てはいけない、とは心から思います。…もしかするとその『適当』な作品が作れるという観点から見れば、能力の「低い」作者さんに圧倒的にアドバンテージがあるのかもしれません。
完成という結果を残しているんだから自分(夢幻台)は能力は実は高いんじゃないの?と疑う方もいます。能力の低い人間が結果を残していることを認めたくないから、能力が高い事にしたい気持ちも何となく分かります。でも自分の能力は自分が一番よく分かっていますし(そもそも40歳過ぎて自分の力量を弁えられないのは正直どうかと思います。自分は今現在43歳です)、今ではその能力の低さ、そしてそれ故にできる『適当さ加減』が自分でも結構気に入っています。魅力的な粗を生む『適当』な気持ちを忘れないでいられる、そしてそれを持ち続けられる自分の能力の低さを誇りにさえ思う、そうありたいと思っています。
あと、夢幻台がそれなりの結果を残して、フリーゲーム制作で生き残れているのは「もっと能力の高い人たちは意外と早くいなくなる」という事も関係しています。前述の通り、夢幻台より能力の低い方は探す方が難しいです。なのでもし世間一般の、能力のすごくある、そこそこある方々が長くフリーゲームを作り続けていたら、恐らく自分は生き残れていない。生き残れたとしても淘汰されて、もっとツクール界隈の片隅で、小さな顔をして細々と作っていたかな…と。少なくともツクール公式フォーラムの各項目で1位になっていいツクラーではないと思います。しかしながら前を行く人、後を追う人が、そのマジメさ故にか、単なる心変わりかは分かりませんが気が付くといなくなっている。結果として漁夫の利を得る感じで自分が目立つところで生き残っている。『適当』にのらりくらりと作り続けて27年。ツクール歴「だけ」が強みですが、それでも生き残れている理由がこの『適当』加減にあると思うのです。
・終わりに.フリーゲーム制作に「正解」はいっぱいある、いくらでもある。
『正解は適当に選んでいい。作ってもいい。変えてもいい』
まとめになりますが、フリーゲーム制作において「こうすればいい」というものはいっぱいある、正直なところ、いくらでもあると思っています。今これを読んでいる皆さんが思う、自分自身のゲーム制作の最適解は何でしょうか。もしかしたらそれこそが皆さんにとっての最適解かもしれません。もし思い浮かばなかったら他の方に聞いてもいいでしょう。それが最適解かもしれません。このコラムを読んで参考にしてもいいです。それが最適解かもしれません。そう、何をもってして最適解とするか、それすら『適当』でいいんです。
最後に前述でも紹介させていただいたRPGツクール2のサンプルゲーム作者、桃栗たき子先生の名言を紹介します。
「さつまいもチップスをかじって、プッてな感じでゲームを作りたい」
まさに適当さ溢れる一文ですが、ゲーム制作27年。紆余曲折を経て辿り着いた、この『適当』な気持ちが、今の自分の最適解です。
(夢幻台 Twitter)


