「センス」という言葉ほど漠然としたものも珍しいですが「物事の微妙な感じをさとる働き・能力。感覚」「思慮。分別」と広辞苑にはあります。ではゲーム制作に「センス」が必要かと言われれば、自分は「いらない」と答えます。
本来センスは単純にプラス・マイナスで測れるほど単純なものではないのですが、大別すると「すごくある」「そこそこある」「ない」の3タイプに分かれると思います。人数比率としては0.5:9:0.5くらい。そして「すごくある」と「そこそこある」の間に大きな壁があるとともに、それと同じか、それ以上に「そこそこある」と「ない」にも大きな壁があります。詰まるところ(残酷ではありますが)「ない」人がセンスを磨いたところでせいぜい「そこそこある」人の最後尾にくっつくか、くっつかないか、という所までしか行きません。それならばいっそ、センスで追いつくということは諦め、センスの無さを認め(←これが難しい)、センスが無いなりの作品を一生懸命作った方がいい。救いとしては「それでもまあまあ面白い作品は作れる」「刺さる人には強烈に刺さる作品になる」ということです。
自分は「センスの無い」ツクラーとして25年以上作者として生き残ってきました。その間には数こそ少ないですが、自分と同じ匂いのするツクラーさんがいたのも事実です(とても本音は伝えられませんが)。でもそれらの作者さんの共通点としては「完成率はかなり高い」「できたゲームはそこそこ遊べる」でした。ただ…そこから中途半端にセンスを求めて、磨いたが故に「あれ…なんか違う。今までのままが好きだったのに」となった作者さんがいるのもまた事実。
もし「自分にセンスが無い」と思ったら、いっそ開き直ってそれを認め、無いなりの作品を一生懸命作る。結局それが納得の行く作品を作る近道なのかもしれません。「無知は罪(つみ)」と言いますが一文字足して「無知は強み(つよみ)」に出来れば、センスの無いことが強烈な武器にできる事だってあると思うのです。
制作にセンスはいらない。ぜひ堂々とセンスの無いゲームを作ってみてはいかがでしょうか。
(夢幻台 様)